大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和32年(ネ)227号 判決 1959年10月19日

控訴人 山崎化学工業株式会社

被控訴人 日商工業株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

第一、控訴人訴訟代理人は、原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴人訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

第二、当事者双方の事実上の陳述は、次のとおりの付加訂正があるほかは、いずれも原判決事実摘示の記載と同一であるから、これをここに引用する。

一、控訴人訴訟代理人の陳述。

(一)  被控訴人主張の煉瓦積工事の費用は、仮に右工事が控訴人の注文に係るものであるとしても、当該工事が実際には施工されなかつたのであるから、控訴人には右工事の代金を支払う義務がない。

(二)  被控訴人主張のプラツトホーム工事は控訴人の注文によるものではなく、被控訴人が機械装置後設計の誤に気付き控訴人の注文がないのに無断で施工したものであり、請負契約の範囲外であるから、その費用金七十七万千六百五十円については控訴人に支払の義務がない。仮に、ある程度のプラツトホーム工事が控訴人の注文の範囲内に含まれていたとしても、それは二、三万円もかけて材木で作れば足りたものであり、被控訴人のなした右工事は必要の限度を遙かに逸脱したものであるから、控訴人としてはその必要の限度である金三万円を超える部分については支払の義務がない。

(三)  控訴人主張のジヤイレートリークラツシヤー一台及びヂセンチグレーター一台は、前者は価格金五十八万円相当のもの、後者は価格金四十六万円相当のものを製作引渡すべき約定のところ、被控訴人より引渡を受けた品はいずれも使用に堪えない老朽品で、双方併せて金四十万円相当の価格を有するに過ぎなかつたが、そのことは外観上容易に覚知することのできない状態に在つたため、控訴人は昭和三十一年十月末機械を解体した際はじめてこれを発見した。右は売買の目的物に隠れたかしがあつた場合に該当し、控訴人はこれによつて契約代金額とその実際の価格との差額金六十四万円に相当する損害を被つたので、被控訴人に対し同額の損害賠償請求権がある。又被控訴人から引渡を受けたロータリードライヤー一台には必要な部分品及び附属品の不足があり、これを補つて完成するには更に金五十万円を必要とするところ、右は機械の内部に取付けるべきもので外観上容易に発見することができず、控訴人は昭和三十一年十月末機械を解体した際はじめてこれを発見した。これまた売買の目的物に隠れたかしがあつた場合に該当し、控訴人はこれによつて金五十万円の損害を被つたので、被控訴人に対し同額の損害賠償請求権がある。よつて控訴人は昭和三十二年四月二十二日附書留内容証明郵便を以て被控訴人に対し右各損害賠償請求権と控訴人の代金等債務とを対当額につき相殺する旨の意思表示をなし、該書面は翌日被控訴人に到達した。

(四)  控訴人が被控訴人に対して負担した債務は、原審において主張したとおり、設計据付工事費を含む本件機械代金六百十二万七千円及び基礎工事費の半額金二十一万五千円であつたところ、これに対し金四百二十万円を弁済し、前記のように煉瓦積工事は施工されなかつたからその代金九万円を控除し、前記各損害賠償債権額六十四万円及び五十万円をも控除し、なお控訴人は被控訴人に対し代金の一部の弁済のため昭和二十九年八月三日金額八十万円満期同年九月五日と定めた約束手形一通を振出交付したところ、被控訴人はこれを訴外株式会社増野製作所に裏書譲渡し、これにより同会社に負担していた同額の債務を免れたので、被控訴人は右手形金の支払を受けたものというべく、以上すべてを計算すれば控訴人の残債務は金十一万二千円となるところ、控訴人は昭和三十二年五月七日右金額を被控訴人に対する弁済のため供託し、その旨被控訴人に通知し、被控訴人は右供託を受諾して同年十月八日右供託元利金の還付を受けたから、控訴人の被控訴人に対する債務は、実際上の債務額如何にかかわらずこれにより全部消滅した。

(五)  仮に昭和三十二年四月二十三日なした前記相殺の意思表示が効力を生じなかつたとしても、控訴人は昭和三十二年九月十八日の当審口頭弁論期日において先ず前記ジヤイレートリークラツシヤー及びヂセンチグレーターのかしによる損害賠償請求権六十四万円を以て、次にロータリードライヤーのかしによる損害賠償請求権五十万円を以て本訴代金債務と順次対当額につき相殺する旨の意思表示をした。

(六)  控訴人主張の供託金の還付に関し控訴人が被控訴人より昭和三十二年八月二十九日その主張のような通知を受けたことは認めるが、還付された供託金は右通知によつてその性質を変ずるものではない。

二、被控訴人訴訟代理人の陳述。

(一)  原判決事実摘示に示された被控訴人の主張中「金五万八千円」(記録一七〇丁表一行目)とあるのは「金五十八万円」の、「金三万四千円」(記録同丁表二行目)とあるのは「金三十四万円」の、「金二万一千円」(記録同所)とあるのは「金二十一万円」の各誤記であるから訂正する。

(二)  被控訴人主張の煉瓦積工事費三万円につき、当該工事が実際は施工されなかつたこと、被控訴人が控訴人主張の昭和三十二年四月二十二日付書留内容証明郵便を同月二十三日受領したこと、被控訴人が控訴人のなした供託を受諾し供託金十一万二千円の元利金を受領したことはいずれもこれを認めるけれども、そのほかの控訴人の抗弁事実は否認する。

(三)  被控訴人主張の煉瓦積工事は、据付けた機械の運転状況に応じて位置方向を定めた後施工を始めるものであつたところ、本件機械の据付現場には控訴人において整備すべき動力施設が遂に整備されなかつたため機械の始運転ができず、そのため煉瓦積工事に必要な資材を被控訴人より該工事の下請の注文を受けた訴外有限会社照栄建設工業所が現場に搬入して必要な準備を終つたにもかかわらず、遂にその工事をすることができなかつたものであり、それは控訴人の責に帰すべき事由によるものであるから、控訴人は代金支払の義務がある。

(四)  プラツトホーム工事については、控訴人はその工事費を含めた追加工事費百十二万二百円の支払義務を承認しその内金五十二万円を支払済であり、又その後右プラツトホームを無断解体してその資材を屑鉄として処分し代金を受取つたような経緯もあるので、控訴人がその支払義務を否定することは信義則に反する。

(五)  ジヤクレートリークラツシヤー及びヂセンチグレーターは最初から中古品の約定で注文を受けたものである。すなわち前者は中古品でも新品に劣らぬ能力があれば充分であるとのことで控訴人の希望により価格の遙かに廉い中古品を納入することを約定したものであり、後者は新品の製造が納期までに間に合わない関係上控訴人の希望により中古品を納入することを約定したものであつて、これらの品はいずれも老朽品ではない。

(六)  被控訴人主張のロータリードライヤーは完成品であつた。すなわち右は(イ)ドライヤー本体、三八吋×三〇呎、伝導装置とも一基(ロ)フツト並びにホツパー、架台とも一式(ハ)同上エヤーシールリング二個(ニ)排風器、東芝製五馬力電動器一台付一式(ホ)サイクロン、配管及び架台とも一式(ヘ)オイルバーナー附属一箇の構成部分で組立てられたもので、部分品、附属品等に欠けるところはなかつた。

(七)  控訴人のなした供託の供託原因中に示されている債務は、本件機械代金及び工事費債務の内さきに更改されて公正証書に記載された金二百四十四万七千二百円の債務の残額であつて、本訴請求に係る金六十万円の債務とは別箇のものであり、そのことは控訴人が別訴請求異議事件において右供託の事実を該公正証書の執行力を排除するための異議事由として主張している点から見ても明らかであり、従つて右供託は本訴請求に係る債権とは無関係である。のみならず、被控訴人は控訴人の右供託の供託原因事実をそのまま承認してこれを受諾したものではなく、該供託金は前記公正証書記載の債務の一部弁済として受領するから供託書を送付されたい旨予め昭和三十二年八月二十九日内容証明郵便を以て控訴人に通知し、その後同年十月八日右供託金を受領したものであるから、右供託金の還付を受けることにより被控訴人の債権全部が消滅するいわれはない。

第三、証拠として、被控訴人訴訟代理人は、甲第一、第二号証、第三号証の一、二、第四号証ないし第六号証を提出し原審証人金子貞治、原審及び当審証人矢代善衛の各証言並びに原審における検証及び被控訴会社代表者米山元司尋問の結果を援用し、乙第一、第三号証の成立は不知、そのほかの乙号各証の成立は認めると述べ、控訴人訴訟代理人は、乙第一号証ないし第四号証を提出し、原審証人山崎豪、原審及び当審証人梶ケ谷誠司、当審証人橋本正雄、同金子春太郎の各証言及び原審における控訴会社代表者山崎徳松尋問の結果を援用し、甲第二、第四、第六号証の成立は不知、そのほかの甲号各証の成立を認める、と述べた。

理由

被控訴会社が各種機械類の設計、製作、販売並びにその据付工事の請負を目的とする商事会社であること及び控訴人と被控訴人との間にその主張の機械類につき売買契約が締結されたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第三号証の一、二によれば、右契約は昭和二十八年十二月二十九日に締結され、各機械の代金額、その納期及び納入場所等の定めも被控訴人主張のとおりであることを認めることができ、同号証及び成立に争のない甲第一、第五号証、原審証人金子貞治の証言により真正に成立したものと認める乙第一号証、原審及び当審証人矢代善衛、同梶ケ谷誠司、原審証人金子貞治の各証言並びに原審における控訴会社代表者山崎徳松及び被控訴会社代表者米山元司各尋問の結果を総合すれば、右機械類は控訴会社がその松本工場にマンガン肥料の製造装置を設けるために購入したものであつて、代金は契約と同時に三分の一、被控訴会社工場より出荷の時三分の一、機械類据付引渡の時に残額をそれぞれ支払う約定であつたこと、右機械類は昭和二十九年二月にはその大部分が納入場所に到着し、同年四月中には控訴人に対する全部の引渡が終つたこと、なお、右機械の据付及びこれに必要な基礎工事は、当初の予定では、被控訴会社の技術者の指導の下に控訴会社において自社の工員を使用して施工するはずであつたところ、機械類が到着してもその工事をなすに適当な工員が控訴会社にいなかつたため、同年二月頃右据付工事及び基礎工事を控訴会社より被控訴会社に注文し、被控訴会社はこれを請負い、右工事の内基礎工事は被控訴会社より更に現地の土木業者に下請させてその下請報酬金の半額だけを控訴会社から被控訴会社に支払うべきことを特約したこと、右約定に基き被控訴会社は松本市の訴外有限会社昭栄建設工業所に右機械類の内クラツシヤーを除くものにつきその基礎工事を報酬額四十三万円を以て下請させ、次いで別に右機械の内クラツシヤーの基礎工事を報酬額五千八百円を以て同会社に追加下請させ、更に機械据付が終り試運転が行われた後に施工すべき煉瓦積工事をも報酬額六万円を以て右訴外会社に請負わせることを契約したこと、右基礎工事のなされるのと並行して被控訴会社は技術者を現地に出張させ機械類の組立据付をしたこと、なお当初の注文には含まれていなかつたがプラツトホーム工事も当該工場の施設として必要なものであり、そのことは前記各工事の施工中に判明したので右松本工場において控訴会社代表者より被控訴会社に対しその請負工事の追加注文があり、被控訴会社はこれも引受けて施工したこと、以上控訴会社の注文に係る各工事は、煉瓦積工事を除いては同年四月中にはすべて完成して被控訴会社より控訴会社に引渡されたこと、右プラツトホーム工事の報酬並びに被控訴会社がその請負つた機械の組立据付工事の報酬である出張組立工事費及び現場諸掛金が被控訴人主張の金額に達すること及び右煉瓦積工事についても、前記有限会社昭栄建設工業所は注文に従い現場に煉瓦その他所要の材料を搬入しいつでも着工完成することができる程度にまで仕事の準備を完了したけれども、右工事はロータリードライヤーを試運転し機械の位置を調整した上で施工すべきものであるところ、控訴人において現場に動力を入れなかつたので据付済の右機械の試運転が最後までできず、従つて前記のようにこの工事だけは完成に至らなかつたものであることを認定することができる。以上の認定に反する控訴会社代表者山崎徳松の原審における供述は採用し難い。

控訴人は、右煉瓦積工事の代金は工事が施行されなかつたのであるから支払の義務がない旨抗争するけれども、右工事が完成しなかつたのは前認定のような理由によるものであり、被控訴人としては、控訴人において必要な動力の供給をなしさえすれば直ちに右煉瓦積工事に着工これを完成させることができる程度にまでその準備を完了したのであるから、右請負工事については債務の本旨に従い現実に弁済の提供をなしたものというべく、その結果右工事がそれ以上進行しなかつたことにより生ずべき一切の責任を免かれたものであるから、控訴人は、右工事が施工完成に至らなかつたことを理由として被控訴人に対する請負報酬金の支払を拒むことはできない。

控訴人は前記プラツトホーム工事が注文外のものでありその費用も必要の限度を超えたものである旨抗争するけれども、右工事が控訴人からの当初の注文には包含されていなかつたにせよ工場設備として必要なものであるためその後控訴人より追加注文のなされたものであることは前認定のとおりであり、前示甲第一号証及び原審証人矢代善衛、同梶ケ谷誠司の各証言を総合すれば、右工事の注文に際し注文者側に当該工事についての充分の知識がなかつたため工事の細目についての指示はなかつたけれども、それは当該工場の設備に相応する適当な施工をなすことを被控訴人に一任する趣旨のものであつたこと及びこれによつて被控訴人の施工したところも、当該肥料製造装置につき操作の簡易化、人員の節減による製品コストの低下を考慮してなされた相当の設備であること、控訴人の主張する木材による工費二、三万円程度のプラツトホームの如きは、一時の間に合わせの設備としてならば格別、機械の高熱に堪えず当該装置に応ずる相当な設備というには足りないものであることを推認することができ、控訴人から特にかような簡単な工事に留むべき旨の別段の指示のあつたことも認められないので、この点に関する控訴人の主張は採用できない。

控訴人は、被控訴人納入のジヤイレートリークラツシヤー及びヂセンチグレーターは使用に堪えない老朽品であつたこと及びロータリードライヤーには部分品及び附属品の不足があつたことを理由に、これによる損害賠償請求権と本件代金等債務との相殺を主張し、右ジヤイレートリークラツシヤー及びヂセンチグレーターがいずれも新品ではなく中古品であつたことは被控訴人の争わないところであるけれども、当審証人矢代善衛の証言、同証言により真正に成立したものと認める甲第六号証及び当審証人梶ケ谷誠司の証言を総合すれば、右各機械は新品によるときは価格も高額となりかつ納期の関係上予定時期までに調達することも不可能であつたので、能力において新品と大差のない中古品を納入する約定であり、右約定に従つてそのような品が納入されたものであることが認められるから、それが中古品であるということはなんらかしとなるものではなく、それが使用に堪えない老朽品であるとの控訴人主張事実については、この点に関する当審証人橋本正雄の証言及び同証言により真正に成立したものと認める乙第三号証の記載は必しも正確な知識に基く供述又は記載とは認められないので採用し難く、他に右機械が隠れたかしのため使用に堪えない品であつたことを認めるに足りる証拠はない。又、被控訴人の納入したロータリードライヤーは部分品附属品の完備した完成品であつて、唯控訴人側でなすべき電力設備が未完成であつたため試運転をなすに到らなかつたに過ぎないことが前示甲第六号証、当審証人矢代善衛、同金子春太郎の各証言により明らかであるから、以上各機械にかしのあつたことを理由にこれによる損害賠償請求権と本訴代金債務との相殺を主張する控訴人の抗弁は採用できない。

以上説示するところに従い控訴人が被控訴人に支払うべき代金及び請負報酬金の額を計算すれば

機械の売買代金            六、一二七、〇〇〇円

有限会社昭栄建設工業所に下請させた基礎工事費四十三万円の半額 二一五、〇〇〇円

同会社に下請させたクラツシヤー基礎工事費五千八百円の半額 二、九〇〇円

同会社に下請させた煉瓦積工事費六万円の半額 三〇、〇〇〇円

プラツトホーム工事費           七七一、六五〇円

出張組立工事費               七一、九〇〇円

現場諸掛金                 二八、七五〇円

以上合計              七、二四七、二〇〇円

となる。

控訴人は代金の内金八十万円の弁済のため昭和二十九年六月三日被控訴人に対し同一金額の約束手形一通を振出交付し、被控訴人においてこれにより弁済の目的を達した旨抗弁するけれども、被控訴人が控訴人よりその主張のような約束手形の振出交付を受けたことはともかくとし、被控訴人において換価その他の方法により右手形金額に相当する経済上の利益を受け前記代金等債権の一部の満足を受けた事実はこれを認めるに足りる証拠がないので、右抗弁はこれを採用することができない。

従つて被控訴人自認の弁済金四百二十万円及び別途公正証書に記載されている金二百四十四万七千二百円を控除し、被控訴人は控訴人に対してなお金六十万円の請求権を有することになる。

控訴人は、その計算によれば本件代金及び請負報酬金の残債務は金十一万二千円に過ぎないので、これを弁済のため供託したところ、被控訴人はこれを受諾してその還付を受けたから、実際上の債務額の如何を問わず控訴人の被控訴人に対する債務はこれによつて全部消滅したと抗弁するので検討する。被控訴人が控訴人のなした昭和三十二年五月七日の金十一万二千円の供託を受諾して供託金の還付を受けたことは当事者間に争がない。そうして成立に争のない乙第四号証によれば、被控訴人の控訴人に対する前記売買及び請負契約に基く請求権の内被控訴人自認の弁済金四百二十万円を除いた残金三百四万七千二百円の内金二百四十四万七千二百円については債務弁済に関する公正証書が作成されていて、その部分は被控訴人が本訴で請求する金六十万円と区別することができ、控訴人は自己を原告、被控訴人を被告とする別訴請求異議事件において前記供託による債務消滅を右公正証書の執行力を排除するための異議事由として主張していることが認められる。ただ、同号証によれば、右供託の供託原因としては、控訴人の被控訴人に対する前記売買及び請負契約に基く債務の残額は金十一万二千円に過ぎないことを指摘されているほか、特に右公正証書に記載されている債務とその他の債務とのいずれの債務についての供託であるかの点は明らかにされていないことが認められるので、右供託原因においては、むしろ両者を含めた全部の債務の残額が右金額に過ぎないことをいう趣旨と解せられる。そうして右公正証書の作成に際し特に従前の債務を消滅させて新債務を発生させる更改契約が締結されたようなことはこれを認めることのできる証拠がないので、右公正証書記載の債務も従前の本件売買及び請負契約に基く債務と同一性において異るところなく、右公正証書は単に債務の一部の弁済方法についての合意を記載したに過ぎないものと解するを相当とすべく、従つて右供託は、公正証書記載の債権及び本訴請求に係る債権の両者を包含する全債権についてなされたものというべきであり、これを以て本訴請求権とは無関係であるという被控訴人の主張は採用できない。

しかしながら債権者が弁済供託を受諾して供託物の還付を受けることにより供託原因に示された債権の満足を受けることになるのは、供託金額の限度においてであつて、もし真実の債権額が供託金額より多いときは、その超過部分までが満足を受けるものでないことは言をまたない。債権額の全部につき弁済期が到来しているにもかかわらず右のように債権額の一部についてのみ弁済供託がなされたときは、本来その供託の前提となつた弁済提供そのものが債務の本旨に従わないものであるから供託の前提要件を欠き、供託そのものによつては当然には債務消滅の効力を生じないものというべきである。但し、かような無効の弁済供託であつても、債権者において供託を受諾したときは、その違法は治癒せられ供託により供託金額の限度で債務は消滅することになる。なお、金額に争のある債権につき債務者が債務の全部の弁済であることを供託原因中に指摘して供託をした場合に、債権者がなんらの留保もなさず右供託を受諾し供託金の還付を受けたときは、その事実それ自体が争のある債権の額は真実供託者の供託した金額のとおりであることを示す有力な徴憑であるばかりでなく、仮に真実の債権額が供託金額を超えるものであつたとしても、その超過部分は供託受諾の際債権者により放棄されたものと推認するのが相当と思われる。しかしながら、債権者が供託金は債権の一部弁済として受領する旨予め留保してこれを受領した場合には右と異り、債権者は真実の債権額が供託金額を超えることを主張し立証し、債務者に対して残額の弁済を請求することを妨げられないものと解すべきである。そうしてこのことはその留保の意思表示が供託所に対してなされると供託者に対してなされるとでこの点についてはこれは区別すべき理由がない。本件において、被控訴人は控訴人の供託した金額を本件売買及び請負契約に基く債権の内前記公正証書に記載した分の一部弁済として受領するから供託書を送付されたい旨昭和三十二年八月二十九日控訴人に通知した上で同年十月八日右供託金の還付を受けたものであることは当事者間に争のないところであるから、被控訴人の供託の受諾も右趣旨でなされたものであり被控訴人は右供託金受領後もなお債権の残額の存することを主張することを妨げられないものというべく、被控訴人の供託金受領により控訴人の債務全部が消滅した旨の控訴人の抗弁は採用できない。そうしてさきに認定した被控訴人の本件売買及び請負契約に基く控訴人に対する債権の残額(公正証書に記載された分を含む)が被控訴人の受領した右供託金額を控除してもなお金六十万円を下らないことは計数上明らかであるから右供託金受領後も被控訴人はその主張の売買及び請負契約に基く債権の残金として本訴請求に係る金六十万円を請求することを妨げられない。

以上の次第であるから、被控訴人の控訴人に対する前記代金及び請負報酬金の残額金六十万円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日であること記録上明白な昭和三十年四月十五日以降完済に至るまで商法所定の年六分の割合による遅延損害金の請求を認容した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 川喜多正時 小沢文雄 位野木益雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例